チョロい日記

自由に書けと言われた気がしたので自由に書きます

映像の授業を受け持つときに

 僕が映像関連に携わるようになって3年。サークルのような、大学公認の有志団体のようなプロダクションに所属して3度目の春である。今春、新たに入学した1年生には、機材の取り扱い方についてとか、番組の作り方についてとかを先輩ヅラして教えるようになった。「自分は決して完璧じゃないけど、教えなければ何も始まらない」というスタンスで、はりきって取り組んでいるつもりだ。

 その過程で先々週くらい前に、はじめて「教壇に立つ」という経験をした。研究発表だったり、「一言」とか「お知らせ」とか程度のものはむしろ積極的に行ってきたが、授業を受け持つということは僕にとって身震いするような心持ちだった。

 平静を装って、授業を開始しようと思ったそばから、プロジェクターが故障。先週まで普通に使用されていたものが、砂嵐を表示するのだからかなり焦った。再起動するも時間が結構かかって、それまではトークでしゃべり倒そうとしたけれど、そういうアドリブは全く効かない。なんてったって、授業だから。楽しいお話を聞いたところで受講生はポカーンなのだ。冷や汗が頰をつたったのを、覚えている。

  

 授業を行うにあたって、一番恐ろしいのが「自分の持ち得る知識が、ひろく直接共有される」という点である。冒頭にも書いた通り、僕はまだ映像をはじめて3年しか経っていない。「石の上にも三年」ということわざがあるが、されど3年である。社会に出たら3年なんてあっという間で、まだまだ若手社員レベルだろう。

 でも、一度引き受けてしまったら、覚悟は決めなければいけない。内容に責任を持たないと、その内容の信用度が下がる。授業内容が薄過ぎると、講義形式で教える意味がないし、逆に濃すぎれば1年生のレベルに合っていないとして、またポカーン状態だ。

 どうしようどうしようと一人唸っていた時、ひとつアイデアとして思いついたのが、「プロの作品を見せる」ということだ。プロの作品こそが、実は一番の教材である。そこに授業という視点を置いてあげるだけで、ほかには何もいらないのだ。ここでいう「授業の視点」とはカット数分析とかショットサイズ分析とかだけれど、映像を見るのなら受講生にとって気楽だし、フランクで親しみを持ちやすい。

 

 普段の映像の授業が、だいぶ映画鑑賞会に陥りがちになる気持ちが理解できた。映像制作は、難しい言葉を暗記するより、肌感覚で理解する、もしくはプロの作品からアイデアをパクるのが近道な分野だということを、この経験でこちらも改めて理解することとなった。もちろん、覚えるべきものは覚えなきゃいけないけれど。