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「制約」と、目指すべきスタイル

マイオピニオン

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  はてなブログには、『今週のお題』という機能がある。読んで字の如く、運営スタッフが決めたお題が週ごとにトップサイトに出題され、それに対してブロガーたちが思うことを自由に書くという、一種の"小さな祭典"のようなものだ。

 僕は前々からその存在は知っていたものの、なかなか手を出せずにいた。そもそも長い間ブログを書いていなかったから「なかなか」なんていう言葉もウソくさいが、少しだけ距離を置いておきたかったというのは事実だ。それは、あるお題を決められてしまうと、自分の満足する分量の記事を書けないのではないかという危惧があったからである。ブログとは日記のようなものであり、他人に影響されないプライベートゾーン(しかし、全世界には公開されているという矛盾を楽しむ)であるべきだ、というのが持論だ。

 でも最近、その制約がもしかしたら楽しいのではないか、という考えを持つようになった。率直に考えれば、良いネタが思い浮かばなかった時、そんなブログ文化はたいへん頼りになる存在である。しかも、もっとツッコめば、あるお題について深く考えていくうちに、自分がふだん立ち寄ることのなかった世界に飛び込むことができるという可能性がそこには秘められている。『今週のお題』のような「制約」こそ、ありがたく自分に課してみるものなのかもしれない。

 

 この構図を「クリエイティブな仕事」に当てはめてみるとしよう。わかりやすい例は、企業とのタイアップソングをつくるシンガーソングライターといったところかもしれないが、今回は僕に卑近な映像制作に置き換える。

 次の2つのスタイルのうち、どちらの方が理想的であるか。

  • 一旦作ったものに対して多数のひとから評価やアドバイスを受け、それらをもとにさまざまなところを修正していくスタイル。最初に自分が作りたかったものとは大きくかけ離れてしまうかもしれないが、それでも我慢する。
  • 一旦作ったものに対して多数のひとから評価やアドバイスを受けるが、それらのひとつひとつに補足の説明をつけて対応し、最終的には自分が作りたいように作って完パケにするスタイル。自分が作りたいものを作ることができた。

 僕の意図するように、文体的なバイアスをそれぞれ逆方向にかけてみた(まるで、自動車免許の問題を作っている感覚だ)ところ、少し露骨になってしまった。一見後者の方が理想的かもしれないが、もちろん、僕が支持するのは前者のほうである。その理由として、キーポイントになる部分は「自分が作りたかったもの」だ。

 「自分が作りたかったもの」って、どのようなものなのだろう。多くは経験に比例するため、自分の狭い知見の中から生み出された、とても陳腐なアイデアのものということになってしまう。そうすると、そのひとはすごく損をしているだろう。これは、年齢で差別をするということでもなく、ただ単純に他人が受け取る印象について何も真摯に検討を試みないスタイルが、伝達手段のメディアという役割を持つ映像制作の場において、如何なものかということである。

 いま、その評価やアドバイスを理解できなくても、それは自分がまだ不勉強であるということなのだと自分の中で結論づける。数年経って、「あの時こう言われたのは、こうだったからだ」という理解ができれば、それはとても喜ばしいことだ。

 

 しかし、クリエイティブな仕事はアーティストとしての、「今、私がやりたいことを、どうしても実現させたい」という一面は尊重されなければいけない。「デザイン」と「アート」は違う、という議論はもう何年も前からされていることだと思うが、制作者のセンスが出てしまうようなこの職業は、アーティスト的側面と別にすることはできない運命にある。そこで、以下のスタイルはどうだろう。

  • 一旦作ったものに対して多数のひとから評価やアドバイスを受け、それらをもとにさまざまなところを修正していくスタイル。最初に自分が作りたかったものとは大きくかけ離れるかもしれないが、与えられた条件のなかでいかに自分らしさを出すことができるか、努力する。また、それを楽しむ。

 意外に重要なのは、最後の一文である。他の人に思わぬ評価を受けることで、落ち込み、戦意を喪失し、それに対応した修正のみをする。そして、まるで自分の作りたい作品を作ることができなかったかのように、その仕事に関わったことをひどく後悔する。これが、本当にもったいない。もしかしたら、違うアプローチが可能だったかもしれないのに、制作者がやる気を失くしてしまうと、その映像を見た人にもその気持ちが伝わってきてしまう。

 

 少し具体性のない話になってしまい説得力に欠けるが、最近日々思うことをどこかで整理しておきたくて、「制約」という言葉からここに、その、思いの丈を綴ってみた。ひとことでいえば、「創意工夫の大切さ」なのかもしれない。

 では、どうしたら創意工夫ができるようになるのか。僕は、ひたすら優秀な作品を見て分析をすることに尽きると思う。僕は、そのために勉強を続けている。