読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

きっと明日には

 年が明け、2016年。書く楽しみを忘れ、綴る余裕を無くし、この日になった。多忙で年末年始にしかバイトを入れることができず、30日も31日も外出する羽目になったため、昨年のように(受験勉強もせずに)一日中ベットでゴロゴロ寝転がるほどの時間はなかったが、18時くらいからはいつものように「ザ・年末」を過ごせた。別に自分は年を重ねることは望んでいないのに、世間の、周りの年末ムードは楽しいから、それに便乗する。2016年がそこまで来ているという実感はもはやなく、数字が変わることだけを楽しんでいる。きっと皆もそのような感じなのだろう。

 新年となった途端Twitterでは、「今年の抱負は」ツイートをよく目にする。「成長する」「色々触れる・体験する」。ぼくなら、数秒で思い浮かぶくらいの抽象的な未来を、約束できない。そもそも「抱負」なんて、新しい年となったことを自分に言い聞かせるための副産物に過ぎないのではないか。どうせ、明日になったら忘れてしまう。それに、自分の思い描く未来どおりに、うまく物事がすすむなんてことはない。そもそも、昨年の自分はAO受験に2度失敗し、模試の成績も最悪で、どの大学に行くかも決まっていなかった。

 

 バイト先のひとに言われた。「大学生活って、意外と大変だろ」。ぼくの場合は、後期になってから急に忙しくなった。今晩の飯には困らないほどのお金を毎日持ち歩ける余裕もできたし、遊ぶ選択肢も増えたけれど、体がひとつでは足りないくらい忙しい。それは自分が新しい環境に積極的に飛び込んでいった成果であるかもしれないが、今までこれほどたくさんの物事に真剣に取り組んだことのなかった人間が、その生活に適応できるわけがなかった。パンクはしなくとも、自分がシングルタスクな人間であることに失望してしまうばかり。もっと遊べる日々が待っているのかと思っていたけれど、意外と忙しいもんだ。

 このような時にぼくの周りの人は、物事に優先度をつけることを強く勧める。どれが自分にとって一番大切な事なのか、よく見極めて考えろ、と。だけど僕には一生それができないような気がする。「自分が関わったことにはすべて、自分らしさ・センスを残していきたい」という信念があるからだ。とにかく、「自分はこういう人間だからこのような表現をしますよ」と人にアピールしたくなる。作品に関しても、人からのチェックを受けて、事務作業にしてしまうのではなく、このデザインがカッコいいと思ったら譲らない。なるべく、それを心がけたいと常々思ってるかぎり、僕は2016年もいろいろなことに首を突っ込んでいくことになるだろう。

 されど、「体を壊す」「毎日大変そうだね」と言われることが多くなったのは気にしている。自分ではそう思っていなくても、体は嘘をつかないらしく、それに、疲れが表情にあらわれているらしい。最近ついにDAPが壊れ、音楽に接する機会が激減してしまった。通学時間1時間半に聞く音楽が日々の支えだったとすれば、自分の脆さを目の当たりにしたといえるだろう。音楽データは代わりにMacBookにインポートし、作業中に流すことにして、取り繕っている。今まで何気無く流していた曲が、とても魅力的に見えて、聴き直しの機会が増えたのはよかったが。

 

 大晦日から元日にかけては、やっぱりユーミンの「A HAPPY NEW YEAR」を聴きながら、近くの神社の行列に並ぶのが恒例となっている。「今年も最初に会うのが あなたであるように」「今年もこうして年をとり あなたを愛したい」。わざとらしく、曲の内容にあった日に聞くのがいけないが、詞が心に沁みる。飾らずに、歌がまっすぐ伝わる。恋愛もしたことないのに、情景が浮かんで気持ち良くなる。これくらいうまい描写が自分にもできたら、そして、そもそも、そうするくらいの余裕ができたら、と思う。…また、時間とか余裕云々の話になってしまったのでこれくらいで切り上げよう。2016年も、よろしくどうぞ。