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1100字の決意(あらためて)

まともな日常

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夜のバイトが終わったあと、何に触発されたわけでもなく、なぜか「ノストラダムスの大予言」が気になり、それに関連して「2015年の予言・予測」というまとめ記事を読んでいました。今日9月23日は、エジプト「インシス神殿」の伝説によると、世界が水没する日だそうです。イシス神殿の閉鎖以降、毎年秋分の日に1体ずつ、神殿に書かれた神々のご加護が失われてゆき、全てが失われると世界は水没する。その理論で計算したところ、そのXデーが、2015年9月23日ということだそうです。他にもこのまとめ記事には、"9月~10月、世界は大きな転換期を迎える"、"9月22日〜28日の間に地球に小惑星が衝突する"なんて大袈裟な文言があり、真偽は別として、大変興味深いなあと思います。もしも、世界が水没するとしたら、それはいつ訪れるのだろうか。人類は絶滅してしまうのだろうか。自分はどのような行動をとるのだろうか。さまざまに、想像をめぐらせることができます。

 

けれども、Twitterでは心配どころか、その事実を知らせるつぶやきすら見ません。その故はおそらく、前述の「ノストラダムスの大予言」や、13年と15年の「マヤの大予言」などが外れ、そのようなオカルトはもう人々には信じられていないから、というのもあるでしょう。信じるだけ無駄に終わり、期待は失望に変わってしまうだけだ、と。しかし、それ以上に、人々がいつも通りの日常を送ることに、強い自信を持っているからだと、僕は思います。なんだかんだでなにもなしに1日は終わり、きっと明日も安らかにベッドに横たわることができるだろう、と。僕も、その揺るぎない自信が生きる原動力となっているひとりであるから、「日常ボケだ」と非難することはできません。

 

しかし、大学生になって、無心でいることがさらに難しくなり、入り組んだスケジュールなどから不安定さを常に、胸に抱えるようになりました。自分の進むべき道はこちらであっているのだろうか。あとで取り返しのつかないことにならないだろうか。知らず知らず体を蝕んでいく、病のようなリスクであふれた道を歩んでいたらどうしようか。昔よりも「選択する」「進む」ということに慎重になり、深夜、スマートフォンの助けなしに、家路を手探りで辿るような感覚を噛みしめています。何も考えずに生きていた頃が、いかに恵まれていたか。自分の関与できないところで決まってしまったことが、自分のした間違った選択のように見えて、とても怖く感じられるこの頃だからこそ、自分の選択には気を使わなくてはならないのです。今日から始まる後期の講義は、今まで以上に、気を引き締めて行こうと思います。