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シティポップは流行っている

気ままな音楽レビュー

 「新型iPod Touchで128GBモデルが復活」というニュースを聞いてから、次は絶対に100GB台の音楽プレイヤーを手に入れるんだ、と心に秘めていたのに、もうiPhone発表の季節になってしまいました。iPhone6sは、キャリアとの契約の関係で来年5月頃になってしまうでしょうが、買うと決めています。どうやら今回は写真/動画撮影機能がすごいらしい。いつかiPhoneで撮影された素材が、当たり前のように商材として使われる時代もやってくるのか、というほど。そういう機能が充実しているならば、カメラ機能やゲームアプリが充実している新型iPod Touchよりも、生産終了後もAmazonで人気なiPod Classic 160GBを買った方がいいのではないか。単に容量目当てなら、後者の方が32GB分も優勢である。迷いながら、しょうがなく8GBのボロボロのウォークマンで我慢してる日々です。外装もすっかりとれ、そろそろ本当に壊れるんじゃないかヒヤヒヤし、これほど丈夫な設計のSONY製品はやっぱりすごいと感心しています。

 

 容量に左右されることの、何がいけないのか。僕が一番渋い顔をしているのは、せっかく飛びついて買った新譜を自由に入れることができないことです。すでに収録されているアーティストにも、これからインポートしようとしているアーティストにも、それぞれの思い入れがあり、取捨選択が非常に難しい。また、泣きたい心持ちの時、激しい曲はなんとなく避けるように、天候にも左右される僕らのいろいろな心情パターンを想像すると、どれもが捨てがたい名盤に見えてくる。"YouTubeで、いろいろなアーティストを聞くことができる。""そして気に入ったら、CDをショップで買う。"ここまではバイトを始めるようになって、ようやくできるようになりました。しかし、それを"持ち歩く"ことができない。歯痒い思いをしてもしょうがないです。

 

 ということで今回は、目の前に広がる景色(心理的なものも含む)とともに楽しめたら最高なのに、残念ながら僕のウォークマンには入ってくれない音楽たちをまとめてみました。特に今回は、70年代の邦楽の主流であったシティポップを再解釈し生み出された、「ネオシティポップ」と称されるジャンルに絞ります(細かくは定義できないため、ジャンル分けに関しては僕の感覚に拠ります)。このシーンは、"四つ打ち"、"踊れるロック"が席巻していた13年14年のロックの文脈に対抗するかのように大流行中で、次々とこれらに属するバンドが脚光を浴びています。先日放送された「心のベストテン FODフジテレビオンデマンド特別編」というcakes発の"音楽放談番組"では、音楽ライターの柴那典さんもダイノジ大地さんも、ceroなどの名前を出しながら、その盛況っぷりを認めていました。

 

日々の泡沫/森は生きている (2013)

 



 僕が最初に、このジャンルの辺縁に触れたのは「森は生きている」ということになるのでしょうか。ceroがシティポップならば、そのフォロワーと紹介されたこのバンドも間違いない、という乱暴な理論で、とりあえず彼らの代表曲「日々の泡沫」のMVを上に貼付します。…と言えど、この曲はややカントリーすぎる印象がしますね。これに関してはジャンル云々よりも、このような70年代のにおいがする(ティン・パン・アレイやはっぴいえんどの演奏を小さい頃から聴いていたので、感じ取ることができました)音楽を、若手ミュージシャンがやっているということに、最初に衝撃を受けた曲として紹介させてください。狭い趣味で育った僕には、"若い=激しい、ロック"という固定観念がなぜか蔓延っていたのです。

 

心理の森/シンリズム (2015)

 

 

 さて、時は流れ2015年。いつものようにTwitterのタイムラインを眺めていると、「ナタリー」のつぶやきに目が止まりました。前に紹介した、「シンリズム」君です。7月に渋谷でライブを見させていただきましたが(大学の時間割の都合上、途中参加という虚しい結果に)、そこは、窮屈に埋まったおじさんたちを相手に、あるひとりの高校生とおじさんたちが演奏を楽しむという"異空間"でした。若い頃、耳馴染んだ音楽たちのエッセンスを、ある天才高校生の発信を通して、ほどよく摂取するという感じ。思えば、前述の「森は生きている」のフリーライブをタワーレコード新宿店で見た時も、同じような光景が広がっていました。ひとつ違うのは、この曲「心理の森」がFM802J-WAVEでパワープレイを獲得したということでしょうか。その独特なフレーズも合わせて、ラジオを日常的に聴いている若者にも届きやすくなっていたと思います。

 

サマータイムラブ/Shiggy Jr. (2015)

 

 

 またそれらと時期を同じくして、このジャンルには"女声ボーカルで、あとは冴えない男たち"という編成が目立つようになりました。そもそもこの編成の大本山であったのは「相対性理論」ですが、そこから「パスピエ」「ふくろうず」「カラスは真っ白」「ふぇのたす」…と面白いほど同じ編成のバンドがウケてくる。しかも共通するのは、どれも「声が無機質」であるということ。僕の勝手な予想ですが、男性の低い声はどうしてもどこかイヤラシい色気、セクシーさを演出してしまうそうで(もちろん井上陽水大瀧詠一などセクシーな声にも魅力はあります)、これはティン・パン・アレイと、ノンビブラート唱法のユーミンが手を組んだという図式にどこか類似しています。メロディと演奏が邪魔されないで、まっすぐにリスナーの耳に届く。

 

 そして、これらのムーブメントの中で、極め付けとして登場したのが「Shiggy Jr.」だと思っています。EP「LISTEN TO THE MUSIC」の頃から存在は知っていましたが、「右も左も分からないけど〜」の部分が、当時ハマっていたaikoの「恋のスーパーボール」のメロディと酷似しているのが鼻について、好きになれませんでした。しかし、YouTubeでの高評価3000超えと、ヒットしている「サマータイムラブ」。電子音を派手に使っているのに、上質なものに思えてしまう(もちろん彼らの作品には、今までのシティポップを踏襲した、「サンキュー」など控えめなものもありますが)。そしてこれを若手バンドが自由自在に、好んで演奏している。庶民の我々とは離れたところで作られていそうな音楽が、下北沢らへんを歩いているバンドマンから聴こえてくる。そこに刺激をおぼえます。そして、これが「ネオ・シティポップ」の「ネオ」なのだと、まず1つの説として、勝手に解釈しています。