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逃げるものと逃げないもの

まともな日常

子どもが何かを欲しがって言うことを聞かないときに、「●●は逃げないから大丈夫」と言ってなだめる、諦めさせる方法があります。僕の親も、僕が小さい頃はそれを乱用したものでした。結局、僕の欲しかったおもちゃは売り切れ、生産中止。僕も空気を読んでそのことについて親を責めず、というわけではなく、泣きじゃくり困らせるというわけでもなく、その時には物欲がすでに無くなっていたために何とも思わなかった、ということをおぼえています。そんなものなんですよね、子供のときって。情緒不安定というのは乱暴でヘンなたとえですが、短期的なスパンでしか物事を見ることができないんですよ。こういう結果になったら、子供の特性を見抜いていた親の大勝利なのでしょう…とまあ、勝ち負けはともかく、今日はなぜかふとこの言葉「逃げないから大丈夫」が頭に浮かんで、考え事をするという時間があったのです。逃げない、ってどこに確証があって言っているのか?逆に、逃げるものって何なのだろうか?その場しのぎの、ただの方便にすぎないということはもう十分に理解しているものの、なぜか、どうしても引っかかってしまいました。

 

今日は入学式前日でした。つまり、数時間もすれば僕は体育館に、緊張に包まれながら立っているのです。ここで言う緊張とは、「大学に入学するということが正式に決定する」という大げさな事実に対してではなく、友達ができるかというありふれた悩みに対して、と限定されたものになります。いろいろな方から、大学生活において友達はなんだかんだ大事、と説教されるたびに、不安になってくるのです。僕は中高一貫校に通っていたのですが、友人関係に苦労しなくなったのは中2の頃からでした。家庭科の授業中にやっていた「セミ」の鳴き真似が功を奏し、一気に教室の端っこグループから中心グループに駆け上がり。それから先は、イジメも経験せずとてもハッピーな学生生活を過ごせたのではないかと思います。しかし、大学ってこんな「巻き返し」みたいなことはできないと思うのです。最初に、このほんのわずかな時期に友達を見つけられなければ、4年間まるまる、ひとりぼっちの生活に変わることは間違いない、というのはよく聞くものなのです。

 

となると、「逃げないもの」の反対の意味を持つ「逃げるもの」って、「友達」なんじゃないかと思えてきたのです。急がなければ、乗り遅れてしまう感覚。あまり実情を知らず思考が固すぎるのかもしれませんが、大学の友達関係って、やはりそれほどシビアなものなのではないでしょうか。たしかに中学1年生のとき、最初から目立っていた人は、それからいつも学年のメインストリームにいました。逆に、目立たない人はずっと目立たないまま。もちろん、目立たなくても素晴らしいのですが、大学では実際にそれで支障が出てきてしまうのかもしれないらしいのです(これも聞いた情報でしか判断し得ませんが)。最初に何か良い印象を、より多くの人に残さなければ。ひとりぼっちは回避したい、回避したい。染髪やファッションにも手を出し始めたいと考えたひとときでした。これから毎日1時間近く乗る電車、記念すべき1日目はふと沸いてきた言葉にまつわる考え事に、納得したかもよく分からないような答えを出して、下車することになりました。