読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

失望と自己肯定

旧ブログ(エキサイト)

世の高3生がもはや夏休みを「休み」と意識せずに、毎日10時間キッチリ勉強している中、何も出来なかった自分への失望と、「いやいや、今年の夏は去年、一昨年の夏よりも有意義な活動ができたほうだ」という自己肯定感。僕はちょうど今日あたりから、その両者の狭間でもがき苦しみはじめた。まあ、どちらかといえば、遊びの気配を全く感じさせず、勉強の話題で埋め尽くされた友達のTwitterのタイムラインなどから、前者のほうが強く意識させられている。月並みではあるが「もう1度最初から夏休みをやり直させてくれ」と誰かに懇願したいほどである。しかし、志望理由書の作成に追われていた7月下旬の、将来のために費やした時間は、夏休みに入る前の自分の予想をはるかに上回っているというのも無視できない。残り10日間それくらいの集中が保証されていないものの、もう充分だという満足感が多少はある。

 
つまり、どちらにも転べないために今の自分の気持ちが整理できず、ついに「いっそ最後まで能天気でいられたらいいな」という第三の方向へ転換しようと思いはじめてしまったのだ。勉強がなんだ、大学がなんだ、学歴がなんだ。自分には何かしらの才能があるはずで、将来はそれを生かせる職に就きたい。そんな一種の「逃げ」のような考えは今まで忌み嫌って、封印してきた。でも、結局自分がそこに行き着いてしまったのならば、しょうがない。たしかに、ピアノは相変わらず優しくない。いいメロディが書けたらなという淡い期待を、容赦なく自身の才能の無さに繋げて吹き飛ばす。けれど、鍵盤を叩いている時は楽しいのは嘘ではないから、いつかきっと報われるだろう。いつか自分もあちら側の人間になれる日が来るんだ。そうやって、転落しそうな危うさを兼ねながらも、いつまでも夢を見ている。
 
グダグダ言ってないで勉強しろ、まさにその通りだと思う。それがこの悩みの特効薬かもしれない。ただ僕の場合は、その前にやることが多すぎてなかなか取りかかれないのだ。投げ出すことだってできるかもしれないけど、いつまでも引きずるのは御免だ。そうして、前にも書いたとおり計画が立てられない僕は、残りの10日間を、目の前の仕事を効率的でもないままこなしていくだけで終えるだろう。自分の夏休み、何だったんだろう、って儚く思うだけだろうな。
 
唯一楽しかったのは今年、いろいろな人と会えた、電話で話せたということだ。人とのコミュニュケーションは、何か自分にたまっていた悪いモノをどこかに解き放ってくれる。13日はかねてから会ってみたかった大阪に住んでいる人と、会食をしたり原宿を回ったりして、楽しい一日が過ごせた。昨日はLINEの電話機能で、徳島の一個下の友達と小一時間お互いの近況報告をした。そして今日も、人と会う。上に書いたような、複雑に濁った悩みがどこかに行ってくれればいいな、そう願うばかりだ。明日の虚無感なんてものは気にせずに。