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地下鉄での出来事。

「ニワトリは三歩歩けば忘れてしまう」という比喩があるが、実は僕もそうだ。友達と予定確認などをする時、「この日は●●!楽しみだね」「そんなのあったっけ」となることがよくある(重要な予定はちゃんと覚えているのだが)。「うっかり忘れを回避するためには手帳をつければいい」と、まぁ当たり前なことをある方からアドバイスされて、トライした期間があったが、「ランニング」等の、実行できなかった勝手な予定と、先日の記事のようなラクガキで欄がいっぱいになってしまい、見事な失敗に終わった。こうなると相手にも自分にも不便だ、何とかして記憶力を高めたい。あとでDSの「脳トレ」(死語)でもやろうか。

ということだから、僕の場合、出来事は起こったその日のうちにブログに書きとめておかなければいけないのだ。もし今書きとめなかったら、あまりに衝撃的な出来事だったので、出来事自体は覚えているかもしれないけれど、その場の雰囲気を忘れてしまって、細かい描写ができなくなってしまう。今、書こう。

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17:42。僕は学校から帰るために使う地下鉄の乗り換え駅から電車に乗った。帰宅ラッシュの時間だから、疲れていた僕は、もしかしたら座席に座れないかもしれないと余計に心配していたが、案外座る人は少なく、すぐ腰を下ろせた。発車直前、ドアが閉まる直前に、「駆け込み乗車」を成功させた「おっさん」がいた。松崎しげるを連想させるほどではないが、少し黒く焦げた「おっさん」は水道局にお勤めのような格好をしており、向かいの席に座ると襟元で汗を拭いて、一息ついた。そして、おもむろに財布を取り出した。するとその瞬間、一匹の小さな小さなクモが財布の中から(だと思われる)、出てきた。生物部所属4年目ながらも、クモの種類にはそれほど詳しくないので、「どんなクモだった?」と言われても答えることができないのだが、僕たちが目の色を変えて捕まえるような種ではなかった。せめて爬虫類の餌用だ。

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クモを登場させた「おっさん」は、そのクモの出現に全く気づいておらず、周りの乗客もスマートフォンをいじってたり、居眠りをしていたようで、そのようなことは知らんぷりだった。僕はウォークマンの電池が切れ、最近愛読している村上春樹の小説も家に忘れてしまったので、少しイライラして中吊り広告でも見ようと、周りを見渡していた時に、その光景が目に入った。普段は周りをジロジロ見るような性格ではない。

僕はずっと、そのクモの進路を目で追っていた。クモは意外とすばしっこく、その「おっさん」の青いズボンの裾を上下していた。どうやらクモは車両の床に落ちることが怖いらしい。落ちそうになると「おっさん」の太もも部分に戻ってくる。その姿を可愛らしく思いながら、続けて目で追っていると「おっさん」の股間部分が目に入ってしまった。クモの行く先が気になる僕はしょうがなく股間部分を観察しなければいけない。言っておくが、「おっさん」の股間部分には全く興味ない。その時間はまさに苦難の時間だった。

「おっさん」がカード整理を終え、財布をカバンにしまい、代わりに取り出した司馬遼太郎の本を読もうとした時であった。とうとうクモの存在に気づいたのだ。「おっさん」は見た目、とてもアウトドアで、このくらいのクモなら無視してしまうだろうと僕は勝手に思っていた。数分の動きに愛着がわいた僕は、「お願いだからそのクモを殺さないで」と小さく念じた。その願いは半分だけ叶った。つまり、クモは殺さなかったが、クモの背後から「おっさん」のでかい指で、(クモにとっては)遥か遠くに、はじいてしまったのだ。

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僕は一瞬クモの行く先を見逃してしまった。しかし、それを見つけるには簡単だった。僕のとなりに座っている女性が悲鳴をあげはしなかったものの、ガサゴソし始めたのだ。どうやら、「おっさん」のデコピンの威力がでかすぎて、クモが女性の方に飛んできたらしい。大半の女性にとって、クモは「気持ち悪い」の代表格である(と思う)。僕は先ほどのように、「殺さないで」と小さく念じた。その女性はどうやら僕の意思とは反対のことを思ったらしく、持っていた厚紙で勢いよく叩きつぶそうとしていた。危ない!そう思った瞬間、このクモ持ち前の「すばしっこさ」が功を奏し、クモはすぐさま隣の居眠りおっさん(またおっさんである)に避難した。ナイスプレー。後で考えてみると、もしその女性の作戦が成功していれば、その女性がクモを叩き潰していれば、「死んでしまった」と(僕が)嘆くだけでなく、その死体が自分のロングスカートに張り付いてしまい、またそれで騒ぎになっていただろう。「叩き潰すよりも、払うほうが自分にとって良い」という、少し考えればできる判断をパニックにより、できなかったと見える。まぁどうでもいい。

そこからはあまり良く見えなかった。ロングスカートの女性の隣で、小さなクモを見るために、身を乗り出すのは、電車でのマナー上よろしくないし、そんなことをしたら、未だにクモに気づいていない、女性と「おっさん」を除く周りの人から怪訝な目で見られてしまう。それでも気になる僕は、さりげなく横目でクモを追いかけるものの、再びクモの行方を見失ってしまった。クモは何処へ。人に気づかれない程度で周りを見る。いない。もう1度周りを見る。いた。クモは向こう側の「おっさん」を含めたいろいろな人の靴の上を徘徊していた。瞬間移動技でも使ったのか……。感心してもう一度見てみるとすでに目の前からクモは消えていた。クモは何処へ。下車駅が近かったので、座席から立ち上がり、周りを見る。見つからない。

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それからの僕は、見つからなかったのだからしょうがない、クモのことは頭から切り離そう、と地下鉄での出来事を忘れようとした。クモはすでに誰かの靴に潰されてしまったのだ、と自分を言い聞かせ、あれほどクモ嫌いな僕(冒頭で話し忘れた)が、なぜ電車内でたまたま遭遇したクモに愛着を持ったのか、そもそもなぜ地下鉄内に小さなクモが出現したのか(「おっさん」の財布の中にいたのか)、いろいろな疑問がわいたが、その疑問すら忘れようと、小さな本屋に寄り道をした。帰りには、すっかりクモのことは忘れていた。

玄関に到着。一日の疲れをとろう、とカバンを玄関でおろしたとき、小さな物体がささっと動いた。やはり、そうだった。例のクモがいた。それは今まで必死に忘れていた事全てを思い出させ、どのようにして自分のカバンについたのだろうか、という新たな疑問を生み出してしまった。それも下車駅から本屋を経過し、自宅までずっとしがみついていることは、奇跡に近いことではないだろうか。僕はこのクモに賞賛と敬意を表し、外にそっと逃してやった。それからのクモもまた気になったが、敢えて追いかけなかった。

……と、ここまで書いてきたが、読んでも感動はおろか、何も感じることがない駄文だということがわかった。要約すれば「クモが地下鉄に乗っていた『おっさん』の財布から出現して、車両内でクモの飛ばし合いが行われ、最終的には僕のカバンにくっついていた」というだけの話である。ここまで読んできた人は、僕の文才の無さと、文の価値の無さに相当がっくりされただろう。自分を庇うようだが、ノンフィクションなら、そういうことはしょうがないと思う。少し不思議だなあということで、とりあえず、書き出してみたかっただけだ。こんなダチョウ文(駄文&長文の造語)を最後まで読んでくれたみなさん、ありがとうございました。これからもこんな変な記事が続いていくので、気色悪いと思いますが、よろしくお願いします。