チョロい日記

自由に書けと言われた気がしたので自由に書きます

苦味だけで失くさないように

 コメダ珈琲のブラックはとてつもなく苦い。ブラック好き、と少し背伸びをしている学生たちを一蹴する苦さだ。僕も、安い珈琲は鉛筆の木の芯のような味がすると一貫して主張し、タリーズの缶コーヒー、もしくはクラフトボスのブラックを愛飲しているのだけれど、突然差し出されたコレについては、あまりのコクの深さに顔をしかめてしまった。コメダシロノワールの印象しかなかったもので。

 

 いまの自分を、高校の頃の自分が見るとどう思うだろう。よく、大学三年生くらいになると突如自分の中に掲げられる疑問のひとつである。無個性な生活を強いられて、何のためになるのか分からないような訓練を積み、正解のないゴールを目指す。少し前まではこれが理想だったけれど、虹の真下が土砂降りのように、現実を突きつけられるとなかなか辛いものがある。「難しいね」なんて一言で済まされてしまっては苛だたしいような、苦しい生活があと数ヶ月、続くことになっている。

 そして、それを抜けると無個性の金字塔である「就職活動」へと続く。時期的に、大学生活を総括しはじめる。せかせかと旅行計画を立てて、思い出作りとSNSの充実に精を出しても、やはり物理的な時間を取り返すことなんてできやしない。Twitterで「その時期になって一斉に髪の毛を黒に染め直すことは、就職活動の本意である"個性アピール"に反してしまっている」という意見を見たが、僕がぼんやり連想するのは「髪の毛を一度も染めなかったなあ」という後悔、それだけだ。

 

 耳の趣味だけは良い、と胸を張っていた高校生活。凡人とは違う(決してそんなことはなかったが)趣味に自惚れていて、どんなに辛いことがあったとしても、音楽だけがあればいいと思っていた。「大学生になったら友達と一緒にフェスに行くんだ」「渋谷も恵比寿も新木場もお台場も、もっと足繁く通ってやるんだ」バイト禁止の高校生が、叶うこともない夢を懸命に見ていたと思うと、笑える。

 「こんなはずじゃなかった」そう思わないように、全てを吟味して送った大学生活。成績上位で入学したんだ、遊びはほどほどにしようとか。単位は落とすこともない。人間関係も欠落していない。でも何かが足りない。結局何が正解だったのか、今もわからない。もっと、カルチャーの中心で遊んでいたかったはずなのに。CDもライブも古着も、もっと手にしていたかったのに。それだけだったのに。

 

 年齢を記入するアンケートで、20代という欄にチェックをつけなきゃいけないことに、戸惑いを覚えた。いや、あと2ヶ月経てば21歳になってしまう。焦り、不安、緊張、怠惰、堕落、頭痛、そして吐き気が出てきた。あと残り少ない人生の夏休みを、僕は満足して過ごせているのだろうか。つまらない人間にはなりたくない。そう自分に鞭打つように、朝から無理して、少しだけ残っていたコメダを一気に飲んだ。何が満足いっていないんだ、自分。文を書いても整理されないようだ。

ブランドがテキストに及ぶなら

 「ほぼ日」のアプリが出たらしい。インターネットの成長と共に歴史を歩んできたこのマガジンサイトがついに新しいフェーズに突入した…とは、どこのニュースサイトにも書かれていなかったが、僕はこれを大きな「発明」だと捉えている。

 手帳でお世話になっている手前、糸井重里さんの言葉に多少なりとも心を動かされてきたことは認めざるを得ない。少し過剰で気持ち悪いと感じてしまったら、それこそが彼が築き上げてきたブランドなのだからと、鼻をつまめばよい話だ。

 そんな、僕にとって愛すべき存在の『今日のダーリン』とやらは、今まで、わざわざ「ブックマーク」とか「お気に入り」とかからしか飛ぶことのできないWebサイトベースのものであった。サイト開始以来、今まで一日たりとも休まずに更新されているというのに、このスマホ社会の現代において、ユーザー・インタフェースが最悪であるから、惜しかった。もちろん、Webサイトをホーム画面に登録することは可能であるが、それだと、何か違った。

 こうして、アプリとして、この新聞と対面できるとは思いもよらなかった。気軽に毎日読むことができる。『Togetter』だったりTwitterの『モーメント』だったり『はてなブログ』のTOPだったり、そういう個人発信のユルい記事とかを読むのが日課な僕にとって、そんな仲間がひとり増えるのは、生活の質がかなり向上する。

 

 ところで、このアプリのランダム機能というのが結構ユニークである。下に画面をスワイプしていくと、次から次へとアーカイブ記事が降ってくる。正方形のサムネイル画像一枚をもとに、読みたい記事を探させるという仕掛けもまた良い。 

 試しに、数年前の記事を読んでみる。

 連載とか特集とかは、まず、はじまりのページのようなものが僕らを出迎えてくれる。本音を話せば、実は僕はここがちょっとウッとキテしまう。糸井さんが書いていないにも関わらず、編集スタッフが糸井さんの文体を真似て、興味をひこうとしているところがチョット。どうやら、あの独特な口語体は、糸井さん個人の専売特許ではないみたいだ。

 これが、スタッフの糸井さんへのリスペクトや愛情に起因するものであれば、間違いなくとても素晴らしいことだ。きっとおそらく、そういうことなのだろう。ただ万が一、文体にまで、社内に手厳しいルールが存在しているのであれば…。

 コピーライターの下で働く方々は、何らかのブランドを守るのに必死になる。それは何も、糸井さんだからではない。ひとつひとつの言葉に敏感になるということで、素直な文章を書けない。まあ、洗脳されていたらラクなのかもしれないが…ともあれ、そんな中で生きるのは、大変だなあと思った。

映像の授業を受け持つときに

 僕が映像関連に携わるようになって3年。サークルのような、大学公認の有志団体のようなプロダクションに所属して3度目の春である。今春、新たに入学した1年生には、機材の取り扱い方についてとか、番組の作り方についてとかを先輩ヅラして教えるようになった。「自分は決して完璧じゃないけど、教えなければ何も始まらない」というスタンスで、はりきって取り組んでいるつもりだ。

 その過程で先々週くらい前に、はじめて「教壇に立つ」という経験をした。研究発表だったり、「一言」とか「お知らせ」とか程度のものはむしろ積極的に行ってきたが、授業を受け持つということは僕にとって身震いするような心持ちだった。

 平静を装って、授業を開始しようと思ったそばから、プロジェクターが故障。先週まで普通に使用されていたものが、砂嵐を表示するのだからかなり焦った。再起動するも時間が結構かかって、それまではトークでしゃべり倒そうとしたけれど、そういうアドリブは全く効かない。なんてったって、授業だから。楽しいお話を聞いたところで受講生はポカーンなのだ。冷や汗が頰をつたったのを、覚えている。

  

 授業を行うにあたって、一番恐ろしいのが「自分の持ち得る知識が、ひろく直接共有される」という点である。冒頭にも書いた通り、僕はまだ映像をはじめて3年しか経っていない。「石の上にも三年」ということわざがあるが、されど3年である。社会に出たら3年なんてあっという間で、まだまだ若手社員レベルだろう。

 でも、一度引き受けてしまったら、覚悟は決めなければいけない。内容に責任を持たないと、その内容の信用度が下がる。授業内容が薄過ぎると、講義形式で教える意味がないし、逆に濃すぎれば1年生のレベルに合っていないとして、またポカーン状態だ。

 どうしようどうしようと一人唸っていた時、ひとつアイデアとして思いついたのが、「プロの作品を見せる」ということだ。プロの作品こそが、実は一番の教材である。そこに授業という視点を置いてあげるだけで、ほかには何もいらないのだ。ここでいう「授業の視点」とはカット数分析とかショットサイズ分析とかだけれど、映像を見るのなら受講生にとって気楽だし、フランクで親しみを持ちやすい。

 

 普段の映像の授業が、だいぶ映画鑑賞会に陥りがちになる気持ちが理解できた。映像制作は、難しい言葉を暗記するより、肌感覚で理解する、もしくはプロの作品からアイデアをパクるのが近道な分野だということを、この経験でこちらも改めて理解することとなった。もちろん、覚えるべきものは覚えなきゃいけないけれど。